支援先の網地島の漁師さん、奥田さんに石巻市内の仮設住宅にてお話を伺いました。
●震災の影響は・・
震源地から宮城の中でも一番近い位置にある島のひとつが網地島です。岸壁に近い家やお店、漁協などはぜんぶ被害を受けました。いまは地盤沈下で満潮時には海面が高くなっていますが、いまもなお一番救援が遅れており、瓦礫の撤去作業は進んでいません。
震災直後は、高台にある網小医院へ避難し、しばらく孤立していました。
石巻市にある自宅、仕事場となっている網地島の作業場、船など全部被害を受け、家内と息子2人をなくしました。
●大変な状況の中、再生したいとおもったのはなぜですか?
自宅も倉庫、船舶、漁具全て被災し、余儀なく避難し命が助かりました。身体ひとつになったとき、陸でおとなしく生活したいと思いましたが、やはり海が好きなんだと思います。この島で育った誇りもあります。一人になりましたが、家族の分までがんばりたいと思います。
●海での再開の怖さはありませんか?
海の上にいると落ち着きます。家族も失ったけれど、海を目の前にすると生きないといけないと気持ちが必死になる。でも今回の震災であったことは忘れてはいけないと思います。
●いつ頃から再開させたいですか。
春までには、なんとか小船が用意できれば、そしてウニ漁に間に合うように準備ができれば助かります。
その後は刺し網漁も開始したいと思っています。
●今後の取り組みは。
船舶が購入できない状況なので探しています。小さい作業場をつくって居場所を確保したいと思っています。
私だけでなく、困っている網地島の方にも何かでお役に立てるようにしたい想いがあります。そのあたりの知恵もお借りできると助かります。 |